『 〜のほうでよろしかったでしょうか 』
これを平気な顔で言ってのける人たち。 「 〜のほう 」 というフレーズ連発を耳にするだけでも眉間にシワが寄ってしまいますが、今、初めて伺うことでも躊躇なく 「 よろしかったでしょうか 」 と真顔で訊かれると、機嫌の悪いときには意地悪を言いたくなるときもあります。あれだけマスコミも取り上げしていたはずなのに、もう一過性の流行的ネタとして忘れ去られようとしているのか、はたまた何がおかしいのかすら気付かないままでいるのか・・・。
言葉の乱れ、といえばおこがましいと思いますが、意図した意思を的確に伝える場面においては非常に問題ありだと感じます。 「 そんなつもりはなかった 」 を生んでしまうこともあるでしょうし、この部分に敏感な人からはマイナスなイメージしか得られません。極端なことをいえば、こんな言葉遣いをする者とはマトモな話ができないと思われてしまうかもしれません。
『 ら 』 抜けの言葉遣いも目立ちますし、最近では報道紙面においても 『 〜のでは。 』 と、それに続く文をバッサリと省略するものが目に付きます。日常において唐突に喋りかけてくる ( ≠ 話しかけてくる ) 人も、主語がないのは許せるとして述語のない人までいます。つまりはわざわざ訊き返す必要があり、まず 『 何を言っているのか 』 を理解するところから始めないといけません。こうなってくると完全なるコミュニケーション不足とも取れるような気がしますが、本人は自身を疑うどころか相手の理解力を疑うしたたかさを持っているので気にならないようです。
社会に出ると言葉遣いの重要性というものは、身をもって勉強することとなります。丁寧語と敬語、謙譲語をキッチリ使い分けられない程度ならば可愛いものだと思えますが、たったそれだけでその人の評価が決まる場面だってあるのです。たかが言葉遣いですが、その人と成りをはかるのには充分すぎるものなのです。
よく考えると恐ろしいことですよね。自分でも気付かぬうちに人と成りをはかられる可能性のあることがあって、それはちょっとした差でしかなくて、その差は実際の内面の差を反映しているわけでは無いということです。逆の言い方をすれば内面が 『 根性ババ色 』 でも、表に出る言葉遣いさえちゃんとしていれば評価が上がる可能性があるのです。
解っていても、なかなか難しい勉強が必要になってくるんですがね・・・。
ちなみに念のために書いておきますが、食事中や買い物中、店員に対して何かを言うわけではありません。面倒くさいでしょ、そんなことを言ってくる人は。。。
Copyright © 2001-2008 t2 and Project GROWING All rights reserved.